五行歌集「人を殺せとをしへしや」「昭和の群像」。いま多くの人に読んでいただきたい、次世代へのメッセージ。

桜出版

編集室より
  • 2011年01月12日
  • プロが求める『生死一如』

『生死一如』サンプルPDFの無料ダウンロードサービスは、この年末年始のアナウンス効果もあって、たいへんご好評をいただいております。ダウンロード版をみて、本を購入したいという方も増えています。
なかでも驚いたのが、お寺さんからのまとまったご注文があったことです。じつは、作者の叶静游氏の対談のお相手をつとめられた菅原研洲師は、30代半ばとお若いですが、その所属する曹洞宗総合研究センター宗学研究部門は、いわば曹洞宗の宗学の本山であり頭脳です。実際に曹洞宗僧侶の教育のため、日本各地に赴いておられます。空港や駅に出迎えられた方が、あまりに若くて驚かれたというお話をよくお聞きしました。道元が正師を求めて中国に渡り、如浄と出会って嗣書を相承し、釈尊から数えて五十二代の祖師となったのが二十八歳。僧侶にとって三十代というのはもっとも飛躍する世代なのかもしれません。ただし、若くしてそこまで到達するには、凡夫には想像できないような相当の修行をされてこられたことはいうまでもありません。
菅原師のお話は、道元の死生観を一般の方にも分かりやすく説いたと紹介しましたが、実際にはそれでも敷居が高く、むしろ現職の方にもっとも分かりやすい説き方だったのかもしれません。たしかに、『正法眼蔵』は本で読んだだけではちんぷんかんぷんです。解説を読んでも、ますます混乱するばかりです。さまざまな譬え話などを交えながら、繰り返し繰り返し学んで、はじめてようやく糸口が見えてくるという教えです。
『生死一如』は、むしろ哲学や詩歌、なかでも西行や芭蕉といった最高峰の歌人、俳人の世界を理解するうえで必須の入門書の役割りも兼ねたものとして問うた本でしたが、思いもかけない読まれ方がなされていることを知り、本当に驚ろき、かつ光栄に思っております。

  • 2010年12月09日
  • 『なみだは重きものにしあるかな』北海道新聞に

(啄木と郁雨)『なみだは重きものにしあるかな』が12月2日の北海道新聞朝刊で紹介されました。お陰さまで先週末は小社にも朝から問い合わせの電話がひっきりなしにかかってきました。なかでも書店さんの問い合わせが多く、北海道での宮崎郁雨人気の高さを実感いたしました。
小社の取り次ぎは「地方小出版」で、ネットへのアップが間に合わなかったため、多くの皆様にご不便をおかけ致しましたことをお詫び申し上げます。現在は、ネットへもアップされ、全国の書店さんやネットショップでのご注文も支障がないと思いますので、よろしくお願いいたします。
「湘南啄木文庫」や「啄木の息」などでもご紹介いただき、啄木の『一握の砂』研究に欠かせない書と高評価をいただいております。ぜひ、多くの皆様に手に取ってご覧いただきと思います。

  • 2010年12月01日
  • 『なみだは重きものにしあるかな』─啄木と郁雨─

今日は『一握の砂』刊行からちょうど100年です。『一握の砂』は1910年12月1日に刊行されました。それから100年後の2010年12月1日、宮崎郁雨が函館日日新聞に連載した「歌集『一握の砂』を讀む」と、それに応えて啄木が函館日日新聞に寄せた「郁雨に與ふ」を一冊にした遊座昭吾編『なみだは重きものにしあるかな』を刊行しました。啄木の「郁雨に與ふ」は、啄木全集に収録されていますが、郁雨が『一握の砂』刊行2週間後の12月15日から45回連載した「歌集『一握の砂』を讀む」は、これまで単行本として世に問われることはありませんでした。啄木に関する資料文献は、その親戚縁者、友人にいたるまで、めぼしいものはほぼ渉猟しつくされた感のあるなかにあって、これは近代文学史の大きな謎の一つといってもよいでしょう。
啄木は『一握の砂』の献辞に、この書を金田一京助と郁雨の「両君に捧」げ、「両君はここに歌はれたる歌の一一につくて最も多く知るの人なるを信ずればなり」と記しました。郁雨はそれにこたえ551首中のべ213首(1首は2度)に言及。分からなかった歌はたった1首だけだったと書いています。その郁雨の『一握の砂』の“読み”が、なぜ、これまで無視されてきたのか。
その理由の一端は、この出版の過程で、おぼろげながら見えてきました。いずれ、言及する機会もあるかとおもいますが、本書を読んで、読者の皆様も推理していただければと思います。
本書を『一握の砂』を愛する多くの人々に読んでいただければ幸いです。

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